“A crushed Dream ~ 砕かれた夢”
2019年からブルゲラ・テニス・アカデミー香港校で活躍しているダビッド・ソウト・コーチのビデオです(※当校は香港内での場所移転に伴い現在は休校中)。ジュニア時代はあのオレンジボールでバーナード・トミック選手と2度も決勝でタイトルを争い、14歳でプロデビュー。その後は心臓の問題や左肘 (レフティー) の怪我との闘いで紆余曲折も14年には全仏オープン予選でグランドスラム初出場。ベネゼエラ出身選手としては17年振りとなるグランドスラム出場を果たしました。
怪我により24歳の若さで引退を決意。引退後は母国ベネゼエラでテニス普及に努めつつ、育成にも携わり、プロを目指すジュニア選手、保護者に自身の経験から成長を急がないことの大切さを説いてきました。ビデオ内で語られる、“Winning is not the best thing in the carrer ~ キャリアにおいて勝利が全てではない”、は印象的です。
ブルゲラ・テニス・アカデミー香港校では2020年に全豪オープンジュニア女子で本戦出場を果たした韓国出身のYeon Woo Ku選手、日本の今村咲選手が所属するプロチームのヘッドコーチとして活躍をしていました。また昨年末には彼の指導のもと14歳以下男子ジュニアが香港ナショナル大会の14歳以下CRCオープンで優勝を果たしています。テニス選手として注いだ情熱を、今度はコーチとしてパッションを持って指導をしています。
ビデオの最後にあるダビッド・ソウト・コーチの「テニス選手は常に謙虚でいなさい、謙虚でなければあなたが改善すべきことが何なのか分かりません、謙虚でいることが大切です。」を正に生徒に教えています。
またビデオでは選手、スポンサー関係のシビアな世界が生々しく語られています。
<略歴>
12歳以下南米ナンバー1、世界ナンバー2として世界から注目を集める。04年オレンジボール12歳以下、06年オレンジボール14歳以下では決勝でバーナード・トミック選手と対戦。04年オレンジボール後にスポンサーとの大型契約を獲得。14歳でプロ大会に出場。ATPポイントを持つ最も若い選手となった。しかし、突然の悲劇が襲う。心臓に問題がある事が発覚し、医者から早急に手術しなければ死ぬとの勧告を受ける。心臓手術によりテニスが出来ないなら死んだ方がまし、と両親に伝え、他の手段を模索し手術を回避。15歳で復帰し、ジュニアでは世界トップ10入りを果たし (最終的にはトップ5入り)、スポンサー契約を再獲得。一方で、プレッシャーと常に向き合わなければいけない状況から好きであったテニスが仕事に変わっていく複雑な感覚を感じ始めた。17歳にATPランキングで350位入りを達成。しかし、ここから左肘の怪我との闘いが始まる。原因は過度な練習とプレッシャーからくるものであった。復帰後は順調にランキングを上げATPランキングは208位まで上昇、14年全仏オープンでグランドスラム初出場。然しながら階段を駆け上がり始めた矢先にまたもや左肘の怪我により1年間の離脱。このタイミングでスポンサー離れが始まった。14年は大型契約の最終年で、怪我による離脱によりポイントを無くし、契約も無くした。復帰後のDavis Cupではベネゼエラ代表として活躍。スポンサー再獲得のための大きなチャンスであったが、またまたドクターストップがかかりプロ選手活動を一旦止めることを決意。そのまま引退。
引退後はベネゼエラでテニス普及に努め、テニスは裕福な家庭にしか出来ないというベネゼエラ人のメンタリティーを変えるためクリニックも開催した。19年から活躍の場を香港に移しブルゲラ・アカデミー香港校にてプロチームでパフォーマンス・ヘッド・コーチを務める。
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