米国テニスのプレゼンスが低下した一方でスペインがテニス王国となった理由として、
ルイスブルゲラの表現で印象に残ったのが、
ハード・コートを、ピン、ポン、パン、
クレー・コートを、ピ~ン、ポーン、パ~ン、ピ~ン、ポーン、パ~ン、と繰り返し表現していたこと。
パワー重視のテニスなのか、忍耐力・戦術重視のテニスなのかの違いを如何にも陽気なルイスらしいユーモアを交えたトーンで分かり易く教えてくれた。
スペインにはプロで活躍させる選手を育成するためのシステムがある。ブルゲラ・アカデミーも然りである。
ルイスは、育成方法に間違わなければプロで活躍させる自信がある、と断言していた。
それがトップ100に入る数々の選手を輩出した実績のあるメソッドを作り上げた自信からなのだろう。
勿論、息子セルジ・ブルゲラの様に全仏オープンというグランド・スラムを取れるかどうか、ムグルサ (今年の女子ウィンブルドン・チャンピオン) の様にナンバー・ワンになれるかどうかは別問題であるとの前提ではあったが。。。
ルイスは、
低年齢やジュニア時代で結果は重要ではない、
14-16歳で強くても皆、消えていく、
だから、どうプレイをしているかが重要であると力説し、
セルジは、
試合の結果でルイスに怒られた事はない、
怒られたのは内容が悪かった時だけ、と笑いながら過去を振り返っていた。
ムグルサは8歳にブルゲラ・アカデミーの門を叩いた。
今でこそアグレッシブなテニスをする彼女であるが、当時のプレイ・スタイルは全く違った。
ロブ、ムーンボールを打ち続けるスタイルで、ルイスは彼女に何故その様なテニスをするのか問いただしたが、
彼女からの答えは、負けたくないから、という極めてシンプルなものであった。
勝ちたい気持ち以上に、負けず嫌いである事も重要で、ルイス曰く、あのジミー・コナーズも勝つことへの執着心はなかったが、ただ負けたくなかっただけの様だ。
セルジ引退後直後のルイスは抜け殻の状態となり、2年間何もしなかった、とのこと。
全身全霊をセルジ・ブルゲラという選手に注ぎ、セルジを育てるためにバルセロナの現アカデミーを買収し、
テニス・コートもクレー、ハードの両方を取り入れた。
セルジ引退直後にIMGより当時若手スター候補であったロシアのサフィン (後に世界1位となった) のコーチの依頼を受けたが、半年ももたなかった様だ。
友人のスマホでユーチューブを開いて93年全仏オープン決勝 (セルジ vs クーリエ) のマッチポイントの動画を見ながらウィスキーを美味しそうに飲んでいたルイスの笑顔は最高であった。